コロナ後の社会を思う

平井晶子

  5月から大学の授業はすべてオンラインになりました。会議もおおむねオンライン。遠隔での授業は意外と「機能した」と思いますが、いかんせん大学が「ストップ」したのが4月、年度はじめというのが厳しかったです。4年生の卒論ゼミは、就活で忙しい普段より参加率が高く(笑)、それなりに充実した時間でしたが、新入生や社会学専修に入りたての学年の演習はぎこちなさが解消されず半期が過ぎた気がします。後期に向けて対面授業も含むアレンジをしていますが、どうなるかは未知数です。

もちろん大学のみならずありとあらゆるところに荒波が押し寄せています。これだけのことを、しかも世界同時に経験しているわけです。はたして社会は変わるのでしょうか。

 「社会は変わるのか」を自問するとき震災を思い出します。阪神淡路大震災を経験し、漠然とですがこれで社会は変わるだろうと考えたからです。確かにボランティア元年と言われ、変化も起きましたが、社会の有り様はポスト震災と言われるような展開にはなりませんでした。東日本大震災でも同じような気持ちの変化を体験しました。

 でも、今あらためて阪神淡路大震災からの四半世紀を振り返ると「災害多発社会」という前提が醸成されたように見えます。戦後50年のあいだ、つかの間の地震の静穏期を「当たり前の日本」と思い邁進してきましたが、80年代までが特殊だったんだと少しずつ気づいてきたのではないでしょうか。

 戦後の日本は焼け野原からの奇跡の復活という形で語られます。人々が貧しさの中から猛烈に働き達成したおおいなる「成功体験」でした。しかし、この経済成長の背後には「人口ボーナス」がありました(もちろんすべてではありませんが)。高齢者が少なく労働人口が多くを占める時代、多産多死社会から少産少死社会へ転換する歴史上一度しかない余裕のある時代(多産少死世代)、その恩恵を受けた時代が戦後の安定した成長の時代だったわけです。これに、これからは災害大国日本がしばし災害を忘れられた時代として記憶されるのではないでしょうか。バブル以降は突然降りかかる災害に右往左往させられてきましたが、そのたびたび起きる現実を、四半世紀かけて受け入れてきたように感じます。

 日本って変わらないなーと思ってきましたが、後から振り返るとこの四半世紀は災害多発社会への導入時代として語られるのかもしれません。

研究会ニュース33号 2020年8月31日